支離滅裂パーティーナイト

基本的に吐き溜め

わからないって、こわいね

思えば、小学生の頃から

来世は窒素になる!

と言っていた。

何年も経った今も、空気になりたい

そこにあるだけでありがたくて素晴らしくて生きるためになる空気になりたい

感謝されなくてもいいから、いる意味が欲しかった

 

生きてる意味とか考えるのは、歳のせいというか、そういう時期だから で済まされてしまう

「意味なんてない」っていう人もいる 意味ある人間なんていないと

誰かに必要とされたい訳じゃない、そういう思考ではない

必要とされたいなら飲食店でバイトでもする。

構ってくれる人が好きなのだ。おれのことを認めて、褒めて慰めて…そういうぬるま湯で生きていきたいっていう思考が強くて、今こうなっている

 

良く考えればなんでもっと即死できる自殺行為をしないのか。

理由はまあ怖いからのひとつに限るんだけど

確実に痛い死に方をしちゃうと死にきれなかった時にすごい困る。めっちゃ痛いから

めっちゃ痛いが残ると、困る

なんか「死ねるかわかんないけど生きちゃった時のダメージも少ないしやってみるか!」みたいなのばっかしてる

やめられない

誰にも言えない秘密かもしれない(なぜ、ブログに書くの?)

結局普段から楽しいで上書きしようと必死こいて余裕のある自分をつくりあげて生きてるわけだから、ボロが出た時に凹むのは実際の心で、弱すぎてすぐに死ぬ

その上臆病なので大胆にいけはしない

 

「これをしたら死ねるかもしれない」をひっそり繰り返しては、生きてしまっているし残るのは擦り傷と打撲、筋肉痛程度

 

そろそろ成長してもいいのではないか

やめたほうがいいというか、周りからやめろと言われてるならばダメな事なので、いい加減やめれるようになりたい

 

孤独感がそれをとめてくる。「これをしたら死ねる?   」を増やす

 

一人で寝ていると大体、母上と離婚することになった大きなきっかけのあの夜を思い出す

最近じゃ記憶もおかしくなって母親に暴力を振るわれた過去は沢山あるはずなのに、「殴られたことなど1度もなかった」との考えが浮かんでくる

そう思えれば多分、幸せな気がする

何を言ってもどうしてもどうしようも無い

死は救いな気がする

 

全ては「気がする」だけである

 

そう言えば今日のごんちゃはおいしかった

甘さゼロでもおいしかった

 

楽しかったのになーーー朝は泣いてたし何なんだろうか

俺はなんなんだろうか

 

たまに通話してくれる相手に連絡しては無視されたり

友人からは毎日のように軽く、死ねと言われたり

きっと外側が悪い。ぼくの外側が悪い

割となんでも出来て、でもめちゃくちゃ真面目でもなくて、口が悪くて…みたいなそういうアレがあるらしい

そいつは多分死ねって言われても傷つかないし「は???お前が死ね」となると思う

外側が癒着してわからなくなるほど、自分を見失ってる

母からの暴言に耐えるために

強くて女の子らしくなくて、泣かなくて、でもバカで運動はできないし自由奔放な子

として生きようって思ってから何年経ってるんだ。もうわからない

今更「もう大丈夫だから」

と言われても本当の自分ってなんだと思ってしまう

わからない

わからないって酷く怖いことだと思った

というかそもそも母の話も全て言い訳だと思う

生きてていいわけ、無いのでは?

結局それがあるから〜と甘んじてしまう自分には嫌になる

というかわがままが多少許されるようになった今、家族ではない他の人に甘えすぎな自分が嫌だ

死んでしまえ

消えちゃえ

と思っている

自分を自分で制限できていない、最近は特に

李徴じゃん

虎じゃん

 

いっそ虎になりたい。ほんとになりたい。俺も虎になりたい

もふもふ。もう人を食ってもいいよ。うさぎくってもいいよ。だからもう1日で虎にならせてくれ

臆病な自尊心と尊大な羞恥心。

あーそんな感じする、俺じゃん!

となった

わかりみが深かった

もしかして虎なのかもしれない

既に?もふもふ

もふもふしたい。

 

努力ってどこからが努力なのか分からなくなってしまった

僕は頑張ったつもりでも結局結果がなかったらそれは何もしてないも同義

だから俺は何もしてない

何の努力もしてないまま、のうのうと生きてる

クズだ。最低のクズ野郎だ

本当に

なんで生きてるかわからない

死ねなかったから生きてる、というていで何とか自分の入れるぬるま湯を探している

常に心の中では言い訳がある

人よりちょっと上だと思っているこのプライドはどこから生まれたのだろうかわからない

幸せってなんだ

毎日のように心をズタズタにされる日々でも楽しくするすべを誰か教えて欲しい

 

ここで人に頼るのがまず、ダメなのではないか

人に頼る行為というのはダメなこと、聞く前に調べるとか覚えるとか、そういう行為をしてないならもう口を閉ざして1人死ね

といった感じのものが僕の心に備わっているような気がしてきた

気のせいだったらいいな

聞かれるのは嬉しいけど聞くのは気が引けるの、なんなんだろう

分からないな

 

 

 

死ぬというのは、救いなのでは?やはりか???やっぱ、救い?

人は基本的に自分の視点からしか世界を見られない

命が消えればゲームオーバー、世界はどこかへ消えていく

誰かが「死んだら悲しいから死なないで」と言ったとしても、死んだ後の僕にはその悲しみを見ることが出来ない

つまりは無いと同じ

そもそも自分が今この世界を見ている時点で、俺が見れなくなったらもう終わるのではないか

でもこれを死なないでと言ってくれる優しい人に言うと、絶対泣かれるしめっちゃ怒られると思う「そういう事じゃない」と

そういう事じゃない!のも分かる

実際そう言われたら多分殴る

でもなんか、そう思ってしまうことがあるのはなんでなんだろう

 

 

 

心中では反省している、むしろありえない程凹みまくっている時に自虐のようなノリで茶化して何かを言うと、大体人からは注意を受ける

当たり前ですね!だって何回やっても反省してないバカだものね、、

なんで、そう思われると考えきれずに発言するんだ。なんで?????もう分からない

 

 

 

 

つまりは自分が分からない

 

 

 

今日も多分、僕はまた「これで死ねるのかな?」を繰り返します。お目汚し失礼しました

 

ほんとに死んだら笑ってください

「ああ、やっと居なくなったよ」って